はじめまして。

よしひろと申します。哲学系の学生をやっています。

よろしくお願いします。

 

このブログでは、暴力研究の成果報告をしたいと思います。

 

暴力といえば、

いじめや虐待、DVなどが思い浮かべられますが、

こういった、対等でない間柄で起こる暴力を、

ここでは研究したいと思います。

 

日ごろ、いじめや虐待のニュースを見て、

いつも胸が痛みます。

 

かくいう執筆者は、

いじめや虐待を直接的に経験してきたわけではありませんが、

それに怯え、逃げるのに必死な半生を送ってきました。

 

虐げられる子は、

なすすべもなく、絶望のままに、

しばしば死んでゆきます。

 

ひとつの命が、

希望をもつことすらなく消えてゆくこと。

苦しみのただなかで死んでゆくこと。

 

ニュースで報道されるのはごく一部で、

事実として、今もそれに苦しむ人がいること。

 

現状では、外部からの介入がなければ、

そういった人たちが解放されるのは難しいです。

 

もしも何も外からの救いがなかったら、

その人たちは、いたずらに暴力を振るわれて、

傷を負うばかりです。

 

そのように思うと、「なぜ」と問わずにはいられません。

なぜ、苦しまなければならないのか。

なぜ、暴力はあるのか。

なぜ、希望をもつことすらままならないのか。

なぜ、……。

 

この暴力への問いは、たんに答えを求めるばかりではなく、

それ自体として、憤りと絶望を含んでいます。

 

ここで研究したいのは、

暴力のメカニズムでもなければ、原因でもありません。

つまり、具体的な対応策ではありません。

 

もちろんそれらはとられるべきですが、

執筆者に今できるのは考えることしかありません。

 

それらの手前にとどまり、

まずは徹底して、暴力という現象の理解を深めること。

あまりに傷が近すぎる人の代わりに、あるいは共に、

希望へ向けて思考しつづけること。

 

つまり、ここで研究したいのは、暴力そのものの内実です。

もっと具体的にいえば、

虐げられる者にとって暴力はどのように現象するか、

この問いのもとで研究を進めたいと思います。

 

したがって、動機としては、

絶望のなかで暴力に晒される人に、ほんとうに希望はないのか、

というものになります。

しかし、ここでの研究は、その手前にも、とどまります。

しつこいかもしれませんが、

まずは、徹底して暴力の現象に対する理解を深めなければなりません。

 

つまり、暴力論ではなく、問いつづけることになります。

 

このことは実は、ひとつの達成ではないか。

 

すなわち、虐げられる者にとって恐ろしいのは、

考える力を奪われることであり、

それが絶望につながるのであるとすれば、

その傍らで問いつづけることは、

そのまま何か希望につながるのではないか。

 

それ自体、思考することの困難な現象を前に、

思考の歩みを止めないこと。

虐げられる者の声にならない叫びに耳を傾けること。

 

もしかしたら、

ここでなされるいくつかの研究の成果は、

現に苦しんでいる人にとっては、

「何も知らないくせに」と、

余計に傷つけることになるかもしれません。

 

そのことを覚悟の上で、

研究を進めたいと思います。

 

いかなる哲学的言説も暴力を免れないとしたら、

最悪の暴力に立ち向かうために、

最小の暴力を選択すること。

 

執筆者は、最小の暴力を選び、

それが最小のままにとどまるように、努めたいと思います。